あれから75年

kozuchan

2016年12月08日 22:30

12月8日(木)快晴

この日を「真珠湾攻撃の日」と意識しない若者がたくさんいるそうで。

アメリカは「奇襲攻撃は卑怯だ」と言い
日本は「いや、ちゃんと知らせたが、手違いがあって連絡が行かなかっただけ」とも言い…。
そう、当時はちゃんと「今からそちらに宣戦布告。攻撃するからね!」
そう言って攻撃すれば良かったみたいなんだね(゜o゜)
それが連絡不行き届きで「卑怯者!」と言われ続けている
という資料をいくつか読みました。

2000年に夫とハワイに行ったとき、
ずっとレンタカーで移動していて、真珠湾に初めて行きました。

湾を臨む場所にいくつものプレートがあり、
そこには「ここで日本軍の攻撃をうけ、○○人が死亡した」
「日本軍の攻撃で○○船が沈没した」
などなど、なんだか申し訳ない気持ちでいっぱいになる場所。
日本人があまりいない場所でした。

でも、韓国人や中国人の団体客や、アメリカ人旅行客はいっぱいいて
みんなが私たち日本人にナナメの視線を送っているように見えました。

でも、逃げていては何も始まらない!
募金をし、平和を祈ってきました。

広島の原爆被害者は言います。
「真珠湾は一般市民を狙ったワケじゃない。でも原爆は市民の頭上に落されたんだ。それは大きく違う!一緒にされてはならない!」と。
わかる…けど、命じられたらやるしかなかったのは どちらも同じでしょう。
本当の和平に向かってほしいと思います。

真珠湾のビジターセンターに「回天」のモデルが置いてあります。
忌まわしい「人間魚雷」です。
爆薬を積んで、人がひとりだけ乗り込めて、
バックはできない。
つまり、命と一緒に艦船に体当たりする…というもの。

本当に…信じられない物が、あったのですね。

その「回天」に乗らなくてはいけなくなった青年の話。
「僕たちの戦争 / 荻原 浩」
現代に生きるフリーターのチャライ男 健太と
1944年(昭和19年)、終戦の前年を生きる
海軍の予科練 飛行機乗りの吾一が 入れ替わってしまう。

現代に来た吾一は、ちゃらちゃらと生きている若者たちを見て
「自分たちが命をかけて守った未来は、これか?!」
というシーンがあります。

ある意味 確かに…。(-_-;)

では私たちは、未来に何を残そうとしているのでしょうか?

きょう 16:30の、夕陽を浴びた富士山。
しかも、富士川に映る 逆さ富士も(^o^)/




「お茶しません?」のゲスト、伊藤育子さんは
10日間ほどアメリカに行っていたそうです。
お土産は…(^・^)







わぁ~い!!
レバーペーストだぁ~!! ヽ(^o^)丿
大好き!!
フランスパンの薄切りを軽くトーストして、レバーペーストをのせて…。
赤ワインと一緒に!
あぁ…考えただけでウットリ(^・^)

今、アメリカでは、「トランプ現象」がそこここで。
メキシコ人と思われる子どもをいじめる白人の子ども。
その親も加わって…というのも見てしまったそうです。
来月には「トランプ大統領」が誕生します。
日米関係を始め、世界はどう変わるのでしょうか?

「色鉛筆画家 坪井由美子」さんから来年のカレンダーが届きました(^o^)丿




1月・2月に始まって…




最後のページ11月・12月は、表紙の「シクラメン」。
来年の未知なる時間に、楽しいことが待っていますように…(゜-゜)




「夫の弁当」は「豚バラ肉のバジルソース焼き」「味玉」「カリフラワーとポテトサラダ」です。